小学校の実践事例

臆せず話す子どもたち 学び合いこそ授業の意義 
〜「メディアとのつきあい方学習」の生きた実践を見る〜
岩手県・水沢市立水沢小学校

水沢小学校

昨年6月の刊行以来、大きな反響を持って迎えられた弊社刊『メディアとのつきあい方学習』(堀田龍也著)。折からの情報・ネットワーク社会で子どもたちが直面しているさまざまな状況に対して、それを能動的に活用し、また危険に対して身を処する術を伝えていく教育は待ったなしの課題となっている。今回はそうした「メディアとのつきあい方学習」に取り組んでいる水沢小学校にお邪魔した。

廊下での2つの出会い

佐藤先生の授業は、いつでも子どもたちとの活発な「かけあい」が身上。子どもたちを決して「受け身」ではいさせない。

本誌の取材でお邪魔する学校では、どこでも気持ちのいい子どもたちのあいさつに出会うことができる。そうした中でも、水沢小学校の廊下に足を踏み入れた私たちを迎えてくれた子どもたちのそれは印象的だった。私たちの目をしっかりと見つめて「こんにちは!」と大きな声をかけてくれるのだ。

水沢小の廊下では、もうひとつ違った子どもたちとの出会いがあった。それは廊下に張り出された、各学級の子どもたち全員の写真だ。

 

顔写真の掲示

水沢小の廊下では、子どもたちの元気なあいさつに加えて、クラスごとの個性ある顔写真の掲示に目をひかれた。

どの写真にも元気な子どもたちが写っているが、面白いのはそれらが見事にクラスの個性をかもしだしていることだろう。各人が胸を張り、背筋を伸ばしてお行儀よく写真に収まっているクラス、それぞれが、思い思いのポーズをとって写真に写っているクラス、などなど……。

学校に集うこと、そして教室で学ぶことの意味とはいったい何だろうか。水沢小の廊下で出会った子どもたちのこの多彩さ、多様さに、不思議とそんな思いをいだきながら、私たちは5年1組の教室へと向かった。

主客転倒!?

逆取材を受けることになった取材チーム

授業の冒頭、いきなり子どもたちからの逆取材を受けることになった取材チーム。佐藤学級にとって、取材は「受ける」だけのものではない。

最初にお邪魔したのは、5年1組の総合的な学習の時間。担任の佐藤正寿(さとう・まさとし)先生は、数々のすぐれた実践と、それらをまとめた書籍の執筆でも知られている。その佐藤学級で、私たちは最初のビックリに遭遇した。

日直の号令で授業開始のあいさつが終わるや、佐藤先生は子どもたちにこう切り出したのだ。

「今日は、みなさんの授業のようすを雑誌に載せるために、取材の方々がみえています。改めてごあいさつをして、それから、何か聞きたいことがあったら質問してみましょう」

……ええっ! 私たちに質問!?

虚をつかれた私たちに、子どもたちからはさっそく矢継ぎ早の質問が投げかけられた。
「ジャストシステムという名前は、どうして付けられたんですか?」 「その雑誌を作る上で工夫しているのはどんなことですか?」などなど。

これには質問するのが仕事の我々もタジタジだ。

やっとの思いで子どもたちの質問攻めを乗り切ると、子どもたちからは「ありがとうございました!」の声。質問──取材を受けて、お礼まで言われてしまった私たちである。

「メディアとのつきあい方学習」の極意は、情報の受信と発信を循環的に体験することにあるとされるが、自分たちがその洗礼を受けた気分だ。

もちろんそれは子どもたちにとっても同じはずで、こうした取材も「受ける」だけでなく、能動的に学びに生かしていこうという佐藤学級の姿勢をいきなり直に感じさせられることになった。

授業のテーマ ……にまでもツッコむ

佐藤学級では、プロジェクターによる教材投影も大切な授業の手段

クラス全員で考え、学び合うことがモットーの佐藤学級では、プロジェクターによる教材投影も大切なツールだ。

いよいよ授業のスタート。今日のテーマは「『見る』から『読み取る』へ」というもの。教科書などに使われている写真を分析的に見ていくことを通じて、メディアに使われている写真には託された情報・メッセージがあることを知り、さらにそれを読み取る力を身に付けることが目的だ。

先生が授業のねらいを板書すると、子どもたちはそれを声に出して読み上げていく。ここで佐藤先生の仕掛けが始まった。

「今日の授業でやることを、今、黒板に書きましたが、これを見て何を思いましたか」

間髪入れずに子どもたちから声が上がる。

「写真って絵のようなものなのに、見るんじゃなくて読むというのが不思議です」

先生からの問いかけに、ピンポイントで反応する子どもたち。しかもそれがこれから取り組む授業のねらいそのものに対してなのだから驚かされる。

それがどんなものであれ、一方的な受け身にならず、疑問をぶつける対象としていくスタイルは、ここにも表れているようだ。

佐藤先生は、その疑問をひとまず預かって、それをこれからの授業で一緒に考えていこうね、と子どもたちに呼びかけた。

先生とナイショ話

続いて全員に2枚の写真がプリントされたワークシートが配布された。同じ写真が教室前方のスクリーンにプロジェクター投影され、先生の問いかけがスタートした。

「さて、みんなのワークシートにも載せてあるこの写真について考えていきましょう。この写真を一目見て、何の写真だと思うかな。パッと見て分かった人はいますか?」

ナイショ話をする佐藤先生と子ども

授業中に先生とナイショ話!? こんなオドロキのシーンにも、佐藤先生のねらいが隠されている。


何人かの子どもが発言しようとするのを制して、佐藤先生はその子どもたちを順に教壇まで呼び寄せた。

「それじゃあ、思ったことを先生にナイショで聞かせてくれるかな」

クラスメイトの前で、先生とナイショ話。私たちも初めて目にする光景だ。その他の子どもたちは、耳を澄ませて「ナイショ」の中身を聞き取ろうとしているが、断片的な言葉が耳漏れ聞こえてくるばかりのようす。

「みんなにも聞こえちゃったかな? 聞こえなかったよね? いろいろな意見があったけれど、中には正解に近いものも……あるかもしれないですね」

いたずらっぽい笑顔で子どもたちの興味深げな視線を受け流す先生。

2つ目のビックリである「ナイショ話」には、積極的な一部の子どもたちの思考レベルやその内容をあらかじめ把握しておき、授業の流れをクラス全体にとって円滑なものにしていくねらいがあると見た。

一方でその他の子どもたちは、ナイショ話の内容への関心から、その後の課題にも、謎解きのような興味をもって取り組むことができるというわけだ。