小学校の実践事例

ありがとう、いのち。生きようとする力のすさまじさ 
〜学習支援ボランティアが生み出す新しい授業の形〜
東京都・立川市立若葉小学校

若葉小学校

教師1人では実現困難な授業も、保護者や地域の人たちの力を得ることで実現可能となり、さらには子どもたちの理解を深めることにもつながる。学校・保護者・地域が緊密に協力し合い、「学習支援ボランティア」というシステムを構築している立川市立若葉小学校。そのシステムが実際に稼働している現場を取材させていただいた。

解剖実験を通じて学ぶ生きているということ

ボランティアの方々にごあいさつ

まずは支援してくださるボランティアの方々にごあいさつ。理科室の後ろに居並ぶ6人のボランティアの方々ときちんと向き合うことから授業はスタートする。

「うわ、動いた!」「やだ、目が怖いよ!」「ぬるぬるしていてつかめない」

湯水麻酔をした魚(ニシキゴイ)が子どもたちに配られる。2〜3人ずつにグループ分けされた子どもたちは、生きものと相対して少々テンションが高くなっている。

今回お邪魔したのは、6年1組の理科の授業。理科担当の福原先生は、からだのしくみを知る単元の一環として、子どもたちにコイの解剖実験をさせるべく用意していた。「前の授業で習ったとおりに、肛門からハサミを入れて、内蔵を傷つけないように開いてください。心臓を切り離したら、すぐに水をためたフィルムケースに入れて観察してください」

医療用の薄いゴム手袋をはめた手でコイに触れる子どもたち。ハサミを入れるまではおっかなびっくりだった子どもたちも、そのコイの身の硬さを感じて途端に真剣な表情に変わる。「先生! これ、切れないよ!」「このハサミ、切れないんじゃない?」あちらこちらのグループからそんな声が上がる。それに対して、福原先生はこう告げた。「その硬さをよく覚えておいてください。とても大事なことです」

借りられる手は遠慮なく借りる

授業の前の打ち合わせ風景

福原先生から、授業の課題、支援内容などの説明を受けるボランティアの方々。「一緒に感動しながら授業を完成させましょう」という福原先生の言葉が力強い。

授業が始まる前、福原先生とボランティアの方々は、簡単な打ち合わせを行っていた。「今回、みなさんにはデジカメで写真を撮っていただきます」

解剖していれば、当然子どもたちの手は汚れてしまう。いったん手を洗ってデジカメで写真を撮って、再び解剖、の繰り返しでは、いくら時間があっても足りない。かと言って、グループごとに1台ずつカメラを渡し、1人を撮影役とすれば、その子はコイに触れることができず、最悪、傍観者になってしまう。そこで、ボランティアの方々の出番というわけである。

「どれがどのグループの写真か、一目で見て分かるように撮っていただきたいのですが……」 福原先生の難題に、ボランティアの方が即答。

「グループごとの番号札を作って、その札と一緒に撮れば一目瞭然では?」

良いアイデアはすぐさま実行に移される。授業開始とともに、各グループには番号の書かれた厚紙が配られた。

お手伝いとしてではなく先生としてのボランティア

「ボランティアの方々に撮ってもらった写真は、後でまとめのレポートを作るときに使います。解剖をしていて撮ってほしいものが見つかったら、どんどん呼んで撮ってもらってください」

写真を撮るボランティアの方

解剖が進むにつれて「撮ってください」「こっちもお願いします!」とボランティアの方々もひっぱりだこ。撮影した画像を確かめる余裕もなくなり、「ブレたりボケたりしていないか心配です」という声も。

解剖が進むに従って、子どもたちがボランティアの方々を呼ぶ頻度は高まる。

「すみません」「これを撮ってもらえませんか?」

今回、ボランティアとして参加された6人は、全員が6年1組の保護者の方。単学級であり、皆が仲良く顔見知りという状態でも、子どもたちはボランティアの方々を「○○さんのお母さん」としては呼ばず、一人ひとりを先生として呼ぶ。授業開始時のあいさつに始まり、子どもたちはボランティアの方々に対して、とても礼儀正しく接している。

「そういったけじめは、非常に大事だと考えています」と福原先生。

「たとえ自分の両親や知人がボランティアとして支援に来ていても、決して馴れ合いにならないようにと子どもたちに注意しています。それは、ボランティアの方々にしても同じです」

自分の子どもだからと接し方に差をつけない。自分の子ども以外にもきちんと目を配り、注意し、叱る。「当然とは言え難しいことですが、守っていただいています」

すごい!きれい!広がりゆく感動

苦手な子どもも

そうは言っても、苦手な子どももいる。「この場合、強制はさせません」と福原先生。途中退室した子をからかうような発言をした子どもに対してはきっちりと叱り、途中まででも参加できた子どもに対しては褒めることを忘れない。

 「すごい! 動いてる!」

心臓を切り離しても、しばらくは動いているという事実。知識として頭にインプットされていても、やはり現実にその目で見る衝撃はかなりのものだ。百聞は一見にしかず。

流れる血や生々しい感触に最初は戸惑っていた子どもたちも、生命の神秘に触れ、徐々に夢中になっていく。「先生! これ何?」「これが脳みそですか?」子どもたちから次々と質問の手が挙がる。しかし、福原先生はその場で正解を与えない。
「分からない部分はデジカメで撮っておいてもらって、後で自分で調べなさい」

子どもたちはあらかじめ、人体のしくみについて学び、調べ、レポートまで仕上げている。魚にも人体と同じように腸があり、心臓があり、脳があることを知り、何度も「すごい」と口にする。人間も魚も同じように生きていることに気付き、命に対する感動が子どもたちの間に広がっていくのが目に見えるようだ。

かなり解剖が進んだところで、「うわぁ、きれい!」と声が上がった。眼球から水晶体を取り出すことに成功した子どもの声だ。とても小さく、透明な球体が子どもの指の上に載せられている。

「うん。本当にきれいだよね。大きさの違いはあるけれど、みんなの目にも同じものが入っているんだよ」
福原先生がそう語りかけると、子どもたちは目をキラキラと輝かせた。「宝石みたいだね!」と言う子もいる。

 

「ありがとうございます。いのち」

 

こうべを垂れ、ぽつりと漏らした子どもの言葉が深く胸に刺さった。