学校 DE デジカメ

第2回 構図と「フラッシュ撮影」のポイント
カメラマン&ライター/西尾琢郎

前号からスタートした『学校 DE デジカメ』。学校現場でのデジカメの活躍ぶりを物語るかのようにご好評をいただいております。さて、今回はデジカメを実際の授業の中で生かしていくためのポイントとして「構図」に注目してみました。写真を撮ることは、目の前に広がる世界を切り取ること。構図について考える上でもそうした視点が重要になりそうです。一方、デジカメ撮影のツボはフラッシュについて。こちらも知らずに使うと損な情報ですので、ぜひお役立てくださいね!

構図って
なんだろう?

「構図」というと、図画や美術の授業でよく使われる言葉ですね。それらの場合、絵の見栄えをいかによくし、安定感のある画面構成ができるか、といった観点で指導されることが多いのではないでしょうか。
  今回考えたいのは写真を撮る上での「構図」です。実際にカメラを構えてみると、画面に「何が写っているか」に意識が集まりがちなことに気づくと思います。確かに、カメラで写真を撮るということは、何かを記録したり誰かに伝えることを目的にしているわけですから、「何を写すか」が重要なのは当然です。
  しかし、何かがただ写っていればいいというのでは、たとえば作文なら、課題となっている「言葉」が文中に出てくればよいというのに近いとも言えます。目的とする被写体を「どう写すか」が、写真を撮ること、写真を通じて目の前の現実を切り取ることの眼目と言えるのです。今回はまず、このことをいくつかの点から改めて考えてみましょう。

写っていないもの
写さないもの

普通に撮った富士山

▲元吉原小学校から、ごく普通に富士山を撮ると、こんな風に工場群と煙突の煙が一緒に写ってしまいます。

何とかして工場を写さないようにした

▲写真を通じて「自然の大切さ」を訴えたかった子どもたちは、何とかして工場を「写さない」方法を模索しますが、なお煙が写ってしまいました。

校庭の植木が入るように構図を作った

▲そこで、校庭の植木が手前に入るように立ち位置を変えて構図を作ったのがこの写真。169枚もの試行錯誤を経て、子どもたちも納得の1枚になりました。

写真を撮るときの行動について客観的に考えてみると、「何かを写す」ときには、意識するしないに関わらず、「何かを写さない」という行為を同時に行っていることが分かります。クラスの友だちの内1人を選んで写真に撮ろうとするなら、その1人を写すということは、その他のクラスメイトを「写さない」ことに他ならないわけです。

こうしたことを授業の中で意識的に取り上げた実践があります。本誌2005年冬号でご紹介した、富士市立元吉原(ふじしりつもとよしわら)小学校での実践がそれです。

子どもたちが、ポスター作りのために富士山の写真を撮ったのですが、事前の指導を通じて、1枚撮っておしまい、ではなく、撮った写真を見ながら、子どもたちなりに納得の行くまで何枚も撮影を重ねたのだそうです。全部でなんと169枚にも上ったという富士山の写真から、いくつかを抜き出したのがページ下の写真です。

富士市と言えば製紙業で有名ですが、学校付近から何も考えずに富士山を撮影すると、工場の群れや煙突からの煙が一緒に写ってしまいます@。子どもたちは富士山のポスターで、自然の豊かさやそれを大切にしようというメッセージを伝えるという目的意識を持っていたので、カメラを向ける位置を変えて工場群を「写さない」工夫をしましたA。それでも煙から逃れた構図が作れなかったので、今度は立ち位置を変えて手前に校庭の植木を取り入れることで、緑の木々と富士山の組合せという「構図」を作るに至ったのでしたB。

こうした試行錯誤は、子どもたち自身の取り組みの中で芽生えてきたもののようですが、それを振り返り指導などの中で「なぜこのように撮ったのですか」「成功した写真と失敗した写真の違いはどこにありますか」など、しっかりと取り上げ、意識化していくことで「構図」づくりを情報とその編集といった問題まで高めていくことができます。そして、そこに至る試行錯誤を容易にし、また追体験が可能な道具として、デジカメの有効性が際立ってくるのです。

▼活用のヒント

デジカメによる写真撮影を情報とその編集ととらえたときに、

1)被写体がどのように写っているか

2) 写そうとしたもの(主役の被写体)以外はどんな風に写っているか

といった点は学びのタネの宝庫になると筆者は考えています。これらは連載の第3回、4回でそれぞれ詳しくご紹介する予定ですので、どうぞお楽しみに。


※本文中の情報は、すべて取材時のものです。