キャリア教育ヒントボックス

出会いが僕を育ててくれた
J2・徳島ヴォルティス MF
秋葉 忠宏(あきば・ただひろ)選手

「自分の好きなサッカーをやって生きていきたい」そう願った高校生は、誕生間もないJリーグに身を投じ、やがて日本代表としてピッチを駆け抜けた。そして今、プロサッカー選手としてキャリア10年を越えるベテランとなった彼は、静かに、しかし今も熱く燃える瞳でサッカーとその生き方について、私たちに語ってくれた。

だから僕はサッカーを選んだ

ウォーミングアップする秋葉選手

徳島ヴォルティスのクラブハウスに秋葉選手を訪ねたのは、2005年のJ2最終戦が終わった数日後のこと。残念ながらチームはJ1昇格争いには絡めなかったものの、Jリーガーとして11年目のシーズンを迎えた秋葉選手の活躍は、まさにチームの要として光るものだった。

冬本番を思わせる強い北風の中、練習グラウンドでの撮影を終え、改めてクラブハウスへ。インタビューに臨んでくれた秋葉選手は、ピッチの上でのクールな印象とはまた違った柔らかな笑顔が印象的だ。

「子どものころは、そうですね…やんちゃな子だったな。とにかく人に言われたとおりにやるのが嫌いでした。あまのじゃくというか。小学生のころは野球とサッカー両方をやっていたんですが、そんな子どもだったから監督の指示で動かなくちゃならない野球がだんだんイヤになってきて、中学以降はサッカー1本にしたんです。サッカーなら、練習ではともかく、試合のピッチに立てば後は選手が自分で考えて動くしかないですから。ボールを持てばソイツが王様ですからね」

そういって笑う秋葉選手の笑顔は、やんちゃ坊主の面影を残す人なつこいものだった。

考えることを学んだ中学サッカー

試合中の秋葉選手

設立間もない若いチームにあって、秋葉選手はその精神的な支柱としても欠かせない存在だ。練習中も試合中も彼の熱さがチームメイトを鼓舞する。
写真提供:徳島ヴォルティス

そうしてサッカーに集中することになった中学校の部活動。しかし、そのクラブは決して強豪チームではなかったという。ある意味放任主義とも言える環境の中、練習メニューひとつから自分たちで考えながら練習を行い、試合に臨む日々を送った3年間であった。

「あれはいい勉強になりました。何をやるにも自分で考えないと始まらない環境でしたから。本を読んだり、チームメイトとアイデアを出し合ったりね」

考えてトレーニングし、プレーすることの大切さを身をもって学んだ中学サッカー。それは秋葉選手のその後に大きな財産となっていく。

高校サッカーで学んだ「プロ」意識

ピッチを離れた穏やかな表情の秋葉選手

ピッチを離れた秋葉選手の素顔は、2人の子どもを持つ父親の穏やかな表情だ。

高校進学にあたって、秋葉選手が選んだのは名門・市立船橋高校。

中学時代は、そのチーム事情もあって目立った戦績をあげられなかった秋葉選手は、推薦枠などでなく一般入試で入学、晴れて強豪チームの一員となった。

このチームを率いていたのは名将・布敬一郎監督。同校の教諭として20年以上に渡って市立船橋高校サッカー部を名門たらしめ、現在は日本サッカー協会でU-17日本代表監督を務める優れた指導者だ。

「布監督には『スポーツ選手はどんなに頑張って練習しようが結果でしか評価されないんだよ』って言われたのが印象に残ってます。高校生相手にですよ? でも、学生の間にそんな"プロ意識"を徹底的にたたき込まれたのは、本当に幸せだったと思いますね」

秋葉選手が市立船橋高校でサッカー部生活を送っていた1990年代前半、日本サッカー界はJリーグの発足に向けて急速な変化の時代を迎えていた。そんな中、布監督の薫陶を受けた秋葉選手は、自分の将来としてハッキリと「プロサッカー選手」を意識するようになっていったのだった。