キャリア教育ヒントボックス

OLから通訳に転身 
〜あこがれを現実に変えた 夢を信じ続ける力
通訳 柘原誠子さん

大手証券会社を辞め 念願の通訳に再チャレンジ

帰国後、大学に進学した柘原さんは、アルバイトで学費を稼ぎながら、通訳学校に通った。卒業後はプロの通訳に、と心を決めていたが、大学4年生のとき、通訳のアルバイトで出会った人に勧められ、大手証券会社へ就職することになる。 社会的ステイタスの高い有名企業、バブル全盛期で給与も十分なものだった。両親も手放しで喜んでくれたが、OLとしての単調な日々は、柘原さんを苦しめることになる。

「お茶くみとコピー取りの毎日。上司がいまどき珍しいほどの男尊女卑の考えを持っていたことも不満でした」

メモは中央にタテ線を引き、時間のロスを防ぐ

このままでは、自分はダメになってしまうと危機感を感じた柘原さんは、1年後に退職を決心。再び実家から仕送りをしてもらいながら、通訳学校に通い、かねてからの夢に再度チャレンジする道を選択する。 当時、柘原さんは26歳、まさに背水の陣だった。

寝食を忘れて勉強した結果、わずか半年で最上級クラスに進級。その半年後には通訳クラスに進んで、通訳の仕事の現場にも進出できる状況になったが、すぐに仕事が舞い込んでくるわけではない。勉強しながら、単発の通訳の仕事をこなしたが、月々の収入はわずかに10万円強だった。

「いま思うと、よくやっていたなぁと、我ながら感心しますが、それなりに生活できるものです。夢に向かって集中していたから苦にならなかったんでしょうね」

退職から1年半が過ぎた1990年の秋、柘原さんに大きなチャンスが舞い込んでくる。TBSが放送するCNNニュースの翻訳者の採用試験に合格したのだ。目指していたのは通訳で、放送通訳の講座は聴解力の強化のために受講していたのだが、それが偶然にも役に立った。

以前からジャーナリズムに関心があった柘原さんは、回を重ねるごとに放送通訳の魅力に引き込まれていく。

昨年まで続けていた日本ケーブルテレビジョンのCNNニュースでは、翻訳だけでなく、自らオンエアの画面に合わせた裏音声を担当した。番組の放送は深夜11時、冬時間になるとさらに1時間遅くなるため、帰宅は午前2時近くになる。しかし、ベッドに入っても緊張は解けず、なかなか寝つけない。

「翌日の早朝から通訳の仕事が入っているときなどは、本当に困りました。それでも歴史が作られる瞬間に立ち会える仕事は、やりがいがありましたね。人生やり直すことができたら、報道関係の仕事に就きたいと思っているくらいです」

現在は企業からのリピート依頼だけで1カ月のスケジュールが埋まってしまい、断る仕事のほうが増えてきたという柘原さん。日本企業が海外で開催する投資家説明会に同行する機会も多く、今年は海外での仕事が合計で2カ月半にも及ぶ見通しだ。

まさに“引く手あまた”の人気ぶりだが、そうしたサイクルが構築できたのは、ここ3年のことだという。IR分野に特化することで専門性を高め、多くの企業にとって“なくてはならない存在”として認められている状況も、柘原さんがひとつひとつの仕事に全力で向かってきた結果なのだ。

努力した人だけが手に入れる プロの通訳へのチケット

柘原さんはそうした多忙な日々を送るかたわら、10年前からインタースクールの通訳科の講師として、後進の指導にあたっている。

「確かに通訳の仕事が忙しいときは負担に感じることもあります。でも、私はもともと人に教えることが好き。それに、日々の仕事は1日限りの繰り返しですが、学校は私に居場所を与えてくれます。見慣れた生徒たちやスタッフの顔に出会えることで、ふっと肩の力が抜けるんです」

夢をかなえ、世界へはばいた柘原さん

教育者としての顔も持つ柘原さんにプロの通訳になるためのポイントを尋ねると、即座に“努力”という言葉が返ってきた。

「確かに先天的なセンスも必要ですが、9割は努力だと思います。私はよく生徒に『自分が好きな英語の勉強ができない人に、自分の興味とかけ離れた勉強を常に続けなければならないプロの通訳が務まるわけがないでしょう?』と問いかけます」
ときっぱり。

実際に通訳科の講師40人の中で宿題の量がもっとも多く、生徒たちからは一番厳しい先生と思われているようだ。

しかし、この背景には「厳しい修行に耐えられない人はプロになっても実力が伸びないということを、私自身の経験から知っているからです。大好きな生徒たちには全員、優秀な通訳になってほしい」 という強い願いがある。柘原さんが通訳の日常と自らの人生を綴った著書『通訳の現場から』(朝日出版社)の一節に、そんな柘原さんの思いが表現されている。

「暗いトンネルを歩いていると、誰でも『いったい出口はあるのだろうか』という不安に駆られるものですが、途中で歩くのをやめてしまっては、生涯、外の景色を目にすることはないのです。どうか、必ず出口があると信じて歩き続けてください」

いくつもの壁にぶつかりながらも、決してあきらめなかった人だからこそ語ることができる、力強く、あたたかい言葉だ。やさしさの奥に強い信念を秘めた柘原さんの瞳は、“夢は持ち続けた者だけが手に入れることができる”という真実を、何よりも雄弁に物語っていた。

柘原誠子さん

PROFILE
柘原誠子 (つげはら・せいこ)

東京生まれの大阪育ち。立教大学文学部英米文学科卒業。フリーランスの通訳、通訳学校の講師を務めるかたわら、講演・執筆活動も手がける。趣味は写真と買い物。

「買い物のほとんどが仕事用のスーツです。自分でも分からないけど、たぶん500着以上は持ってると思う(笑)。それがストレス発散法なんですよ」

取材・文/元木哲三 撮影/渡部秀一
※本文中の情報は、すべて取材時のものです。