メディアとのつきあい方講座

「情報モラル」についての特別座談会

特別座談会「情報モラル教育の実践と課題」
〜情報モラル教育が実現すべき究極のテーマとは?〜

最初は真似でも構わない 発信する際に注意を促す

●久保田

小学生は授業の中で作文などさまざまな作品をクリエイトする機会が多いので、著作権法について話すとすぐに理解してくれます。不思議なことに、日本の教育は学年が上がるに従って「創作」という意味で情報を生み出さなくなる。大学生でもネットからコピーした論文の「て、に、を、は」を適当に変えて、自分の論文として提出している者もいます。

小学生に人格権がらみの話をきくと、自分の作品を「真似をされること」「勝手に公表されること」をいやがります。また、特に「勝手に先生に赤を入れられて修正されること」を、子供ながらに侵害だと思っている。ここは教育権の行使と著作者人格権のちょうど軋轢の部分。教育者としては難しいところですが、私は初等・中等教育レベルでは、最終的には教育権の行使を優先すると判断しています。ただし、子供たちが自ら想像して書いた世界は大切にしてあげたいと思います。作文などは、子どもと話し合えば問題は起こらないのではないでしょうか。

●村岡

久保田さんから個人の権利と、教育的な指導のせめぎあいの話が出ましたが、実際の現場ではいかがですか。

●伊藤

自分の想いをしっかりと綴れる子は問題ないのですが、どう表現していいかわからず、なかなか書けない子には、その表現に対して協力してあげなくてはならない面もあります。表現が苦手な子どもたちの作品に対して、どういう形で赤ペンを入れるかは、教員として判断が難しい部分だと、今あらためて考えさせられました。教員の世界では「良かれ」と思って修正することがたくさんあります。久保田さんのおっしゃるとおり、そのために子どもたちの自由な発想力がスポイルされることもあると思います。

●宗我部

私自身、数年前、国語の指導をする上で考えを改めたことがあります。それまで、作文は書いて提出すればおしまいでした。つまり、読んだ者に伝わったかどうかのフィードバックがなかったのです。小さな子でも自分の思いがうまく伝わらなければ、一生懸命に言いなおそうとします。常にフィードバックはできませんが、発信だけで終わらずに、受け手とのやりとりを指導の中に組み込むべきではないでしょうか。

また、子どもの表現は真似で始まる部分もあります。これは一概に否定できない。私たち教員は、真似では終わらないように、そこから超えていけるように導くことが大切だと思います。

●久保田

まさに、そうですね。著作権法の話をすると、先生方は、真似ることが違法だと思ってしまう傾向があるのですが、これは間違いです。漫画家の松本零次さんが「模倣、応用、改良、発展、創作という段階がある」と言っています。つまり、小・中学生の表現は模倣が多く含まれていても仕方がないのです。その時に大切なのが、作品を外部に発信する時には、「真似が多く含まれていては創作物として認められないし、他人の権利を侵害することにもなる」と、しっかり教えることだと思います。

以前、クリエイターの学校で著作権侵害の講演をしたとき「どこからが著作権侵害か」という質問を受けたので、「クリエイターとしての自分のプライドに聞きなさい」と答えました。自ら悩んだ末に出した作品なら、胸を張っていい。極端に言えば、法律は関係ないのです。先生方が自らの教育観に則って話をすれば、法律を知り尽くしていなくても、子供たちは自ずから善悪を判断するようになると思います。

●伊藤

「お米」に関する本を制作する際には、必ず「写真を使っていいですか」と問い合わせをさせました。また、文章も自分のオリジナルに限った。それらをすべてクリアして初めて人に見てもらえる、という流れを組んだわけです。この時は保護者も一緒に考えたり悩んだりしてくれたので、そのとき関わっていた子どもたちや保護者は著作に対する意識が非常に高くなりました。

また、保護者会の場で、ある保護者が「うちの子がまとめたもので、コピーした部分があるのですが、これは良くないですね」と問題を投げかけてくれました。こうした議論に対して保護者の方々からは、「いい学習になる」という意見が出ています。情報モラルに対しての取り組みを続けていくことで、少しずつですが着実に成熟していくものだと感じています。