キャリア教育ヒントボックス

「仕組み」への好奇心「ものづくり」へのこだわり
「木のからくり」作家 からくり工房・工遊館
高橋 みのる(たかはし・みのる)さん

子どものころから大好きだった「ものづくり」。社会に出てなお失うことのなかったその気持ちを、自分の時間に、自室の中で大きくふくらませ、ついにはその道のプロになってしまった人がいる。毎号印象的な「木のからくり」で本誌の表紙を飾ってくれている高橋みのるさんを尋ねて、青森県は八戸市へとお邪魔した。

木の香りに包まれて

高橋さん。作品である木でつくられた飛行船の前で。

「ものごころついたときには、身の回りに木材が転がってるような環境でしたね」高橋さんは自らの幼年時代について、そう語り始めた。

両親が共に材木を商う家の出だったという環境は、模型好き、ものづくり好きだった高橋少年を、ますますその趣味に没頭させるものだったに違いない。

男の子なら誰もが熱中した経験を持っている模型作りにしても、高橋さんのいれこみ方は独特だった。

「友達はみんな、クルマとか戦車とか特定のジャンルが好きで、そればかり作るようなところがあるんですが、私はジャンルを問わずに何でも作りましたね。作ること自体が好きでしたし、とにかくいろいろなものの仕組みが分かるのが楽しかったんだと思いますよ」と高橋さん。

木の香りと手触りとに育まれ、どん欲なまでの「仕組み」への興味をふくらませながら、高橋少年は大人への階段を歩んでいったのだった。

書類の裏に広がる夢

ぎっしり書きこまれた木のからくりのアイデア

仕事だったアスファルトの品質計算に用いた用紙の裏には、木のからくりのアイデアがぎっしりと書き込まれていた。その下に積み上げられているのはこの間に書きためたアイデアノート。その数は数十冊にも上る。

「学生時代は勉強嫌いで、授業中も手を挙げた記憶があまりないんです」
そう語る高橋さんの好きな科目は、やはり美術、そして体育だったという。

「小学生のころは将来の夢というとパイロットだったんですけど、いつの間にか『空の下でできる仕事』になってました。よっぽど教室にいるのがイヤだったのかなぁ(笑)」

大学で土木工学科に学んだのも、そんな「空の下でできる仕事」にこだわったからだという。そして社会に出た高橋さんが選んだのは、道路建設を行う会社。アスファルト品質の管理をするというその仕事は「念願叶って」現場での作業も多く、道路の出来が自分の肩に掛かっているという意味で、やりがいのあるものだった。

そんな仕事の充実ぶりが、逆に高橋さんのプライベートな活力を高めたのだろうか。当時業務で制作したというアスファルトの品質データのグラフ用紙の裏を、趣味としてコツコツと続けてきた木のおもちゃのアイデアで一杯に埋め尽くすほどの熱中ぶり。

仕事に励む一方、だからこそ自分の時間も充実し、活力と共にわき上がってくるアイデアをどんどん書き留めていった様子がうかがえる。

学校の試験用紙の裏に落書きをした思い出を持つ人は多いだろうが、仕事の書類の裏に趣味のアイデアを書き連ねる高橋さんの「ものづくり魂」は、やはりけた外れだったのだ。

入賞と激励そして決断

高橋さんの昔のアイデアスケッチ

「昔はこんな具合に製図みたいなスケッチを描いてましたね」と懐かしそうに語る高橋さん。現在のアイデアスケッチは、高度なからくりを内包しながらも、よりやわらかなタッチで印象的に描かれる。

木を使って、自分のアイデアを「からくり」という形にする。身近に学んだり、競ったりする人のないこの世界で、高橋さんは当時、東京、大阪などの展示会で知り合ったおもちゃ作家、からくり作家と情報を交換し、意欲を高めていった。

「作家仲間との交流はすごく刺激になりましたね。自分の作品を世に出していく上で、いろいろな情報を手に入れられたこともそうですし、意欲を高めるきっかけになったという意味でも大切でした」

当時の高橋さんの制作の場は、実家の自室。仕事から帰ると夕食もそこそこに、木材加工用の工具を持ち込んだ自分の部屋に閉じこもって作品制作に励む日々だった。

そして転機が訪れる。満を持して自信作を出品した 「朝日創作おもちゃコンクール」で、朝日新聞社賞を受賞したのだ。時に28歳。以後同コンクールで入賞を重ねながら、次第に自分の力に自信を深めた高橋さん。一念発起し、30歳にして「『木のからくり』で生きていく」決意を固め、道路建設会社を退職。修行を兼ねて、伝統工芸品を制作する工房へと転職したのだった。