キャリア教育ヒントボックス

人が好き自然が好きたくさんの笑顔に出会いたい
ペンションオーナー 荻嶋博司さん・留美さん

お客様に美味しいお料理と、思わず深呼吸したくなるほど澄んだ空気、そして何より、ゆったり流れる時間を提供したい。そんな思いを胸にペンションを始めたご夫婦がいる。天城山の南麓、静岡県賀茂郡東伊豆町、伊豆天城ハイランドに建つペンションエルブルズへ、荻嶋博司さん、留美さんを訪ねた。

人との出会い 自然との出会い

「この仕事をしていなかったら、こんなにたくさんの方々と密に接することなんて、なかったと思うんですよね」

ペンションを始めて3年目。サービス担当の留美さんが笑顔でそう語る。

「『また来ます』と言ってくださるだけでもうれしいのに、本当にまた予約して泊まりに来てくださるお客様が多くて。ありがたいです」

料理・大工仕事担当の博司さんは、芝刈りの手を休めて白い歯を覗かせた。

「たくさんの笑顔に出会いたい」

ここペンションエルブルズは、伊豆半島のちょうど中ほど、北に天城山、東に伊豆の海を臨める標高600mの地にある。ペンション経営を夢見て、売ペンションを探していた荻嶋さんご夫婦は、10数件の物件を見て歩いた末、このエルブルズにたどり着いた。その立地も建物もすぐに気に入り、その場で、年齢的にもそろそろ引退をと考えていた前オーナーと交渉に入ったという。

「商業的にはあまり有利な立地ではありませんが、この眺望と自然に一目惚れでした。それに、建物内にきっちりプライベートスペースが確保されているのもポイントでしたね。自分たちがゆったり暮らせなければ、お客様にゆったりした時間を提供することなんてできないだろうと考えたんです」

「エルブルズ」とは、イラン北部、カスピ海の南に横たわる山脈の名。平均高度は約3,000m、最高峰のダマヴァンド山は5,771mを誇る。イランに長年住んでいた前オーナーが惚れ込んだ山の名を、荻嶋さんご夫婦はそのまま受け継いだ。

思い続けることが夢への一番の近道

博司さんがペンションのオーナーになりたいと思ったのは18歳の時。幼い頃から料理が好きで、料理を仕事にしたいと思っていた博司さんは、商業高校を卒業したのち、東京八重洲のフランス料理店で働いていた。しかし、バイクでの通勤途中で事故に遭い、入院。退院後は地元大宮の食関係の店で働く日々。

ペンションエイブルズ正面

ペンションエイブルズを正面から。4kmの山道を上がると驚くほど視界が開け、晴れた日には天城の山々や伊豆の海に浮かぶ島々が一望となる

「中学の頃からスキーをしていたこともあって、18歳の時にスキー場のペンションで2〜3カ月バイトをしたんです。その時に、ペンション経営もいいな、と思って。もちろん、まだその時は漠然とした夢でしかありませんでしたけど」

料理が好きで、人が好き。大工仕事も得意科目。そんな自分に、ペンション経営は合っているかも、と思っていた。

料理同様にツーリング好きな博司さんは、自転車・バイクで各地を走った。国内を制覇した後は、当然のように世界へと目が向き、フランス料理店で3年間の修行ののち、運送会社のバイトでお金を貯め、22歳でアメリカへ渡った。 バイクで北・中米を走破。その時に使った地図には、博司さんが走り抜けた道が赤く塗られている。

博司さんはそのままヨーロッパへ発ち、本格的に料理の修業をして30歳で帰国。2年ほど東京のレストランで調理主任を務めた後、漠然とした夢への資金作りのために、過酷ながらも賃金の高いお弁当屋さんで働きながら、留美さんと出会うことになる。

阿吽の呼吸で夢を現実に

ごく一般的なサラリーマン家庭に育った留美さんは、自分で仕事を持ちたい、手に職を、と自立心旺盛な女性だった。生き物が好きだったことから獣医を目指し、大学で獣医学を履修。卒業後は、開業したい一心で動物病院で働いていた。

「でも、自分には向いてないって分かったんです。自分の性格からして割り切れないだろうな、と」

開業すれば24時間、1年365日ずっと自分の病院に通う動物たちのことを考えてしまい、一時として気が抜けず、余裕を失うだろうと思った留美さんは、動物病院を辞め、外資系ペットフードの会社へ転職。獣医が勧めるペットフードの企画など、資格を生かした仕事に就いた。

緑に囲まれた貸し切り露天風呂

留美さんが友人を介して博司さんと出会ったのは、ペットフードの会社で忙しく全国を飛び回っていた頃。美味しいものを食べることが大好きな留美さんと、料理上手な博司さんはすぐに意気投合。結婚、出産へと至る。

「伊豆に旅行に来て、ペンションに泊まった時に、ふと思い出したんですよね。やっぱりペンションやりたいなぁ、と」

大好きな料理の腕を披露できるのは、レストランや食堂だけではないのだと改めて気づいた博司さん。あたためていた夢にリアリティが付加される。土地を買って建物を建てて広告を出して……と考えると難しいが、中古ペンションを購入して始めれば、それほど準備に時間はかからない。

思い立ったら吉日。博司さんが仕事から帰り、売ペンションの情報を調べようとしたら、すでに留美さんがインターネットで調べていたという。まさに阿吽の呼吸だ。

「宿の経営こそ24時間気が抜けないだろうと思われがちですが、ペンションの場合はオン期、オフ期がはっきりしていて、メリハリがあるんです」

誰よりも博司さんの料理の腕を知っている留美さん。自分の時間も維持できるペンション経営に異議はなかった。