キャリア教育ヒントボックス

自然を支えるもの・都会を活かすものへの想い
福島県職員 岸 正広さん

人間の生活に欠かせないと言われる「衣・食・住」の三要素の中でも最も大切な「食」。
その食を支える農業の重要性は、昔も今も変わらない。サラリーマン家庭に生まれながら、その農業に関わる仕事をしたいと考え、公務員としてその想いを実現させた岸さんを、職場にお訪ねした。

農業や林業を、多くの人に理解してほしい

東京は浅草から、直通電車でおよそ3時間半。

福島県南会津地方は、栃木県と境を接する山あいの地域だ。

地域農林企画室のデスク

東武線に直結する会津鬼怒川線と会津線との接点である会津田島駅からほど近い高台に、福島県田島合同庁舎はある。その敷地内には、県の重要文化財でもある、旧南会津郡役所があり、ここ田島が古くから地域の中心だったことを物語っている。

この庁舎には、県庁の出先機関として、多くの部門が入っているが、岸さんが勤務するのは、南会津農林事務所企画部の地域農林企画室という部署だ。官庁だけに長い部署名だが、その役割は、南会津地域の農林業および農山村の振興と、その情報収集・提供とされている。

福島県は、行政的には7つの地域に区分されており、この南会津地方は、県の南西部に位置する3町4村からなっている。県の過半は太平洋型気候に分類される福島県にあって、この地域は、特に冬場は典型的な日本海型の気候となり、積雪も数メートルに達する。

「ご多分に漏れず、ここも大半が過疎地域にあたります。けれども、私は、東京のような都会にとって、こうした地域は絶対になくてはならないと思っているんです」

岸さんは、静かに話しはじめた。

広大な蕎麦畑に立つ岸さん

「手つかずの自然、なんていう言葉がありますが、少なくとも日本には、そうした意味での自然は、ほとんどありません。山も森も、長い間、人が手を掛けて守ってきたものなんですよ」

農地を見れば、誰もがそこに人手が加わっていることを理解する。けれども山や森はどうだろうか。

ゆっくりとそう語ってくれる岸さんの足元に広がる草原は、夏には一面が可憐な白い花で埋め尽くされる蕎麦畑だという。私たちは、枯れ野原の向こうにもそんな営みを見る目を、都市生活の中で失いつつあるのかもしれないと感じた。

「そうして育てられてきた緑に触れて、その大切さを感じてもらえるのなら、そこにかけられている人手の価値も、同じように考えてみてほしいんです。農業も林業も、この地域の人の暮らしや、都会の人の食卓だけを支えているわけではないんですよ」

岸さんの語り口は、あたたかくも力強さを帯び始めた。

きっかけは給食のコッペパン

岸さんは、大阪府のサラリーマン家庭の出身だ。
それが、どうして農林業に関わる仕事を選び、また、東北のこの地で働いているのだろう。

「きっかけは、そうですね、小学校の給食だったと思います。私の時分は、米飯給食が始まる端境期だったんですが、とにかくあのコッペパンが苦手でして……。どうして毎日米飯にしてくれへんのや、と思いましたねぇ」

そんな子ども心に、“こんなにおいしいお米を作る仕事って、すごいな”という憧れが育っていったのだと岸さんは話してくれた。

高校までは地元だったが、大学進学時には、すでに農学を学ぶ気持ちは固まっていた。
そこで、農学で高いレベルの研究が行われているという評価の高い東北大学を受験、見事合格した岸さんは、勇躍、東北の地へと向かったのだった。

学ぶことに「ムダ」はありません

学生時代の想いを語る岸さん

「あまり出来のいい学生ではなかったので、結構いろいろありました」

笑いながらそう話す岸さんだが、大学では、当初、希望の農学科ではなく、水産科に籍を置くことになった。

その翌年、無事農学科への転籍を果たし、乳苗(にゅうびょう)という、稲の苗の育成栽培法についての研究をテーマに据えた学生生活を送る。

引き続いて大学院を受験。一年目は惜しくも失敗するものの、研修生として大学に残りながら、翌年の院試に挑戦し、めでたく大学院修士課程で研究を続けることになった。この間、いわゆるバイオテクノロジー関連の研究に進もうかと考えたこともあったそうだが、そうしたことすべてが、今の自分の「糧」になっていると、岸さんは感じている。

「大学など、学校で学ぶことの大半は、そのまま社会で役立つわけではありません。それでも、迷ったりつまづいたりしたことを含めて、ムダになることなんてひとつもない、と私は思います」