キャリア教育ヒントボックス

熱い思いで自然体を貫いた25年
〜絵本の素晴らしさを伝える子どもの本屋さん
児童書専門店経営  横山 眞佐子さん

本州の最西端、関門海峡沿いに市街地が広がる山口県下関市。

児童書専門店「こどもの広場」は今から25年前、人口約25万人のこの街で誕生した。主宰・横山眞佐子さんの優しく穏やかな語り口の奥には、凛と背筋を伸ばして歩んできた人生がかいま見える。

知識も経験もゼロ すべては夢から始まった

「子どもの本屋さんを始めたきっかけですか?
そうね、単なる思いつき、ほんの気の迷いだったと言えばいいかしら」

横山さんは、まるでいたずらっ子のようなチャーミングな笑顔で、こう話し始めた。

明るい笑顔で語る横山さん

28歳で離婚を経験した横山さんは、ふたりの子どもとともに、東京から生まれ故郷の下関に帰ってきた。

「生計を立てるために、何か仕事を始めなくちゃならない。でも、それまで会社に勤めた経験もなかったし、父も会社員だったので商売のことなんてまったく知りませんでした」

そんなとき、以前、なぜか心にとまって切り抜いていた《東京・吉祥寺に子どもの本の専門店》という新聞記事を思い出す。わずか5坪の小さな店。日曜日には店の前に椅子とテーブルを出して、子どもたちに本の読み聞かせをしているという。
「こんなすてきな仕事があるんだ。私もやってみたい」

そう考えるようになった横山さんに、ちょうど5坪の店が目にとまる。子どもたちを幼稚園に送り迎えする道の途中の交差点にある小さい盆栽店だ。

「場所も広さも、自分のイメージにぴったり。ここでお店が開けるといいのにな」
と思っていると、ある日、その店に「貸家」の貼り紙が…。横山さんはすぐに大家を訪ね、
「私、子どもの本屋さんを始めるんです。絶対に私が借りるから、誰にも貸さないでね」
と、そのとき、財布に持ち合わせていたわずかなお金を手付金として渡した。

思いがけず理想的な場所が見つかった。しかし、書店経営についてはまったく知識がない。そこで、当時はまだ珍しかった全国の児童書専門書店を調べ、さっそく岡山県の書店を訪ねることにした。

店は駅前にあると聞いていたのだが、何度行き来してもそれらしい書店が見つからない。ようやく見つけて入ってみると、雑誌や一般書籍が並んだごく普通の書店。奥の目立たないところに、ひっそりと児童書コーナーがあった。

「ご主人にお話を聞いてみると『数年前までは児童書を専門に取り扱っていたが、経営が立ちゆかなくなって雑誌を置いた途端に子どもの本は売れなくなった』ということでした。大変な商売なんだな、と感じつつも、“雑誌を置かなければ大丈夫なんだ”と勝手に納得したんです。本当に気楽ですよね」

次に当時、渋谷にオープンしたばかりの「童話屋」に赴いた。そこで店の主人から「何でも教えてあげるから、困ったことがあったら、いつでも遠慮なく尋ねなさい」とあたたかい言葉をもらう。
「同業者にノウハウを教えてくれるなんて、子どもの本屋さんは素敵、と感激しました」

こうして横山さんの言う“単なる思いつき”が、少しずつ形になっていく。しかし、開業までには、いくつもの試練が待ち受けていた。

立ちはだかる多くの壁を 強い思いと人の縁でクリア

下関に戻ってから、書店経営について書かれた本を頼りに、開業までの具体的なプロセスを学んだ。

その中で本の卸である取次店と契約をしなければならないことを知った横山さんは、さっそく取次大手の北九州支店に事業計画書を持っていったが、「考え直しなさい」という一言で追い返されてしまう。

現在の「こどもの広場」の店内

「後から担当者に聞くと、はっきり断ったつもりだったらしいのですが、私は『計画を見直してこい』と言われたと思ったんです。世間知らずにもほどがありますよね」

決意を新たにした横山さんは、下関の人口や周辺地域の子どもの数などについて詳細に書き込んだ分厚い計画書を作って、あらためて事務所を訪ねた。

すると今度は「供託金はありますか」と質問される。

もちろん、そんなお金が必要だということはまったく知らなかった。しかし横山さんは簡単にはめげない。
「私が開業して子どもたちに読書の楽しみを伝えなければ、本を読まない大人ばかりになります。そうなると、ここにあるたくさんの本は売れなくなりますよ」
と、本のプロたちを前に大演説をぶったのだ。

その声を聞きつけた支店長が横山さんの熱意にほだされたのか、「すでに営業している書店の支店という形ならば、供託金がなくてもオープンできる」とアドバイスしてくれた。顔見知り程度だった書店経営者に事情を伝えると、支店長の口添えもあり、支店を名乗ることを快諾してくれた。

そうした、いくつもの幸運と人の縁が横山さんの夢を支えたのだが、まだ大きなハードルが残っていた。肝心の開業資金がなかったのだ。親からの援助ではなく、自分の力で新たなスタートを切りたいと考えていた横山さんは、大胆にも銀行に融資の相談に行った。しかし実績も担保もない女性に対して銀行は冷たく、当然融資を受けることはできなかった。

それでもあきらめないのが、横山さんのハートの強さ。

知人に相談したところ、母子家庭への助成金の利用を勧められ、当時の最高額120万円を借りることができた。その上で、国民金融公庫を訪ね、さらに120万円の借り受けに成功する。横山さんは
「今だから言えますけど、役所から借りた120万円を自己資金ということにして融資してもらいました」
と屈託のない笑顔で語る。

店舗の改装や本箱などの什器で120万円。残りの半分で本を仕入れた。これで、ようやく開店の準備が整った。横山さんは友人が勤め先で作ってくれたガリ版の手刷りチラシを近隣のポストに配って、いよいよオープンの日を迎えた。

売れ行きが伸びない日々も 忘れなかった笑顔

開店初日。店はこの日のために駆けつけてくれた友人たちで賑わった。

誰もが絵本を買ってくれるのだが、これまで小売業の経験がない横山さんは、本をきれいに包むことができない。包装用の袋を制作する資金がなかったので、「こどもの広場」というスタンプを押した白い紙で包もうと考えていたのだが、これが意外に難しい。

お気に入りの絵本と一緒に

すると、見ず知らずのお客が、その紙を手際よく折りたたみ、のりづけしてせっせと袋を作ってくれた。それを見ていた清算待ちのお客は、自ら計算機をはじいて、料金を置いていってくれる。

横山さんは
「なんで、こんなに良くしてくれるの? って本当に驚きました。その後も、ずっとそんな調子なんです。店は私ひとりでしたから、まれに配達があるときは、店を閉めなければならないのですが、そんなときは友人が無償で店番をしてくれました。私がしっかりしていないから、いつも、まわりの人が手伝ってくれるんです。危なっかしくて、見てられないのかしら」
と微笑む。

しかし、開店からしばらくは、なかなか売れ行きが伸びない。今でこそ大人にも愛好者の多い絵本だが、当時はまだ認知度が低く、お客から「普通の子どもの本はないの?」と尋ねられることが多かったという。絵本と言えば、書店の回転棚に入っているような『桃太郎』や『金太郎』…という時代だったのだ。

1日の売り上げが3,000円程度という日もざらだった。すると利益は約600円。横山さんは
「本が売れなかったから、今日のご飯は300円だな、と。そんな毎日でした。子どもたちの学費を滞納して、卒業式の日に逃げちゃおうか、と笑ったこともあります」
と当時を振り返る。

しかし反面、そうした日々は横山さんにとって幸せな時間でもあった。

毎日、大好きな絵本を心ゆくまで楽しむことができたからだ。

この時期、横山さんは純粋に絵本と向き合うことで、本当に優れた作品を見極める力を身に付けた。苦しみを笑い飛ばす心の豊かさが、横山さんを新たな展開に導いていく。